TOBETSU TRAPPIST MONASTERY
正式名称は厳律シトー会灯台の聖母トラピスト大修道院
函館から西方へ約30km。渡島当別駅から徒歩25分のところに当別トラピスト修道院があります。広大な敷地は今でこそ肥沃な美しい土地ですが、開院当初は石ころだらけの荒涼とした原野だったそうです。渡来した数名の修道士達は苦労しながらこの原野を開拓し、道南に酪農と乳製品をもたらしました。 今は製酪工場をはじめ、ハイテク化された近代設備になっていますが、「祈れ、働け」のモットーは創立当初から変わっていません。そんな当別トラピスト修道院をほんのわずかですが、ご紹介いたします。 なお、資料、写真はトラピスト修道院のご協力で載せていますが、あくまでも非公式サイトであり、トラピスト修道院には責任所在がないことをあらかじめご了承下さい。 |
歴史
創立まで | |
1891年(明治24) | 函館教区発足 |
1892年(明治25) | 函館司教はトラピスト会総長に日本に創立の可能性を打診。総長は土地と建物の提供を条件に了承。 函館教区はこの条件を満たすのは困難で延期。ところが開墾を条件として土地提供の申し出。 |
1995年(明治28) | 来函したミッション会から建物資金として千フランの寄付 |
1896年(明治29) | 1月建築開始、同年秋竣工 |
トラピスト修道院創立 | |
1896年(明治29) | 11月21日。聖母奉献の祝日、創立修道院開院式。教会法的創立。付近の葛登志(かっとし)灯台に因み、「灯台の聖母修道院」と命名。 |
1897年(明治30) | フランス、ノルマンディー地方にあるブルックベック修道院の副院長ジェラール・プーリエ師、創立修道院長として当別に着任。同年9月、函館の湯の川から、当別に孤児院が移転し、「トラピスト学園」と呼ばれ、1933年(昭和8)まで継続。延べ、2920人が養育。乳牛購入、バターの製造始まる。 |
D・ジェラール・プーリエ帰化 | |
1898年(明治31) | 当別修道院は「正式修道院」となり、D・ジェラール・プーリエは正式修道院長に任命。(DはDomで修院長の意味) |
1900年(明治33) | D・ジェラール・プーリエは帰化が認められ、岡田普理衛と名乗る。 |
1903年(明治36) | 火災にて建物焼失。 |
修道院本館定礎式 | |
1907年(明治40) | 修道院本館定礎式 |
1908年(明治41) | 当別小教区発足。聖堂としてトラピスト学園使用。 |
1910年(明治43) | 岡田普理衛師、雪の深い丸山で遭難。一命をとりとめる。ルルドの洞窟建設を計画。 |
1911年(明治44) | 5月11日、ルルド落成祝別式 |
1915年(大正4) | 当別教会竣工 |
当別教会祝別 | |
1917年(大正6) | 当別教会祝別式 |
三木露風、講師に着任 | |
1920年(大正9) | 岡田普理衛師は三木露風の人柄と才能を見込み、同院の講師就任を要請。露風は夫人を同伴して着任。若い志願者達に国文学、文法、作文を教えた。三木露風の作品で最も有名な「赤とんぼ」や「野ばら」はこの地で書かれた。 |
1922年(大正11) | 4月16日、露風夫妻は復活祭に岡田普理衛修道院長の司式で受洗。洗礼名は露風が三木パウロ、夫人はモニカ。 |
1924年(大正13) | 露風は講師を辞して上京。2年後にトラピストにちなんだ著書を刊行し、カトリックに対する教外者の理解につとめた業績に対し、ローマ教皇から勲四等の勲記、勲章と聖墳墓騎士の称号を受けた。1964年、三鷹市内でタクシーにはねられ、死亡。75歳。1971年(昭和46)修道院下の小公園に三木夫人による詩碑除幕式 「日輝かに沈黙し…」と刻まれている。 |
大修道院に昇格 | |
1935年(昭和10) | 当別修道院は大修道院に昇格 |
1937年(昭和12) | 日中戦争とそれに続く太平洋戦争に若年修道士14名が次々に召集され、うち、4名は戦死。修道院敷地もすべて函館要塞地域に組み込まれ、警察の圧力も強まる。 |
1945年(昭和20) | 戦火にあい、学業が続けられなくなった東京大神学校から神学生がトラピストに疎開。その中の一人に後の東京教区大司教、白柳枢機卿も。7月14日、函館大空襲 |
創立者D・ジェラール帰天 | |
1947年(昭和22) | 7月1日創立者D・ジェラール、在日50年にも及ぶ生涯を終え、87歳で帰天。 |
新聖堂落成式 | |
1974年(昭和49) | 11月10日新聖堂落成。 パイプオルガンはルクセンブルグ製 大聖年期間中の日本国内巡礼指定地の1つ |
ルルド祝別式 | |
1989年(昭和64〜平成元年) | 5月11日、1911年(明治44)の設置以来、親しまれていた丸山のルルドの洞窟が風化落石のため、危険となり、修復不可能とわかったので200m下の山を削り、新ルルド洞窟を建設。祝別とミサを挙行。 |
創立百年 | |
1993年(平成5) | 北海道南西沖地震発生。当別教会の壁に亀裂が入り、使用不可能となったので解体。 |
1995年(平成7) | 12月8日無原罪の聖母の祝日、4月22日に着工された当別教会落成。設計はトラピストで受洗した東大工学部教授の香山先生によるもの。 |
1996年(平成8) | 創立百年を迎える |
資料:「当別トラピスト修道院百周年記念」発行:灯台の聖母トラピスト大修道院
当サイトは非公式であるため、シトー会の説明などは割愛し、略歴紹介にとどめました。
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