細川ガラシャ夫人コーナー

故・三浦綾子さんの「細川ガラシャ夫人」を読んで印象に残ったシーンを切り絵にしたものです。

細川ガラシャ(1563〜1600)

本名玉子。明智光秀の娘で細川忠興のもとに嫁ぐが本能寺の変勃発。謀反人の娘ということで本来は離縁され自決しなければいけないが忠興は離縁せず味土野に幽閉。その間に侍女の清原マリアからキリスト教の感化を受けたと言われている。

後に豊臣秀吉の許しを得て大阪城近くの玉造の屋敷で暮らす。聡明で絶世の美女だったと言われ、忠興は玉子が人目に触れないように部屋の四隅に火薬をぶら下げ監禁。キリスト教禁令下、清原マリアから受洗。洗礼名「ガラシャ」(グラチア、グレーシア)神の恩寵の意味。

秀吉の死後、息子を家康に人質として差し出し、忠興は徳川方へ。徳川方についた各大名の奥方は豊臣方の石田三成に人質にとられることを恐れていっせいに逃走。

「夫にはキリストのごとく仕えよ。」の御言葉を守り、玉子は石田方に取り囲まれても逃げようとはせず、幼い娘をマリアに託し、侍女達に殉死することを堅く禁じて「キリシタンゆえ、自害はできぬ。かと申して生きのびるわけにもいかぬ。」と屋敷に火を放ち、家老に胸を突かせて果てた。享年38歳。

手作りの百人一首

味土野の夕暮れ

茶会

「手作りの百人一首」
新婚当初、忠興は
金箔を貼った手作り
の百人一首を玉子に
贈った。何枚か現存
している。

「味土野の夕暮れ」
本能寺の変後、丹後
半島の山中、味土野に
幽閉。死産したことも
あってこの世や命の
はかなさを考え始める。

「茶会」
秀吉は美女の誉れ高い
玉子を手込めにしようと
茶会に招く。玉子はわざ
と懐剣を滑り落して
みごとに危機を脱出。

受洗

天主の御もとに

「手作りの百人一首」
「天主の御もとに」
札幌真駒内教会司祭館
の当時の主任司祭の
お部屋にあり,
あとの3枚は実家。
この5枚はすべて楮、
みつまたから作られた
手漉き和紙を使用して
います。

「受洗」
17人の侍女は全員

キリシタンになった。
部屋から出られない
玉子は禁令下、
神父から指導を
受けた清原マリア
により受洗。

「天主の御もとに」
慶長5年7月17日帰天。
「散りぬべき時知りて
こそ世の中の花も
花なれ人も人なれ」
が辞世の句。
2人の侍女が最期を
見届けたと言われる。


「味土野・・・」の背景は
雲龍紙という薄い紙を
色違いで何枚も重ねて
夕日の色にしています。
「天主・・・」の火の粉は
エアーブラシが買えず、
歯ブラシで絵の具を
飛ばしています。
襖の部分は本物の襖。

日本語訳の聖書がまだない時代に「こんてむつすむん地」(基督に倣いて)をそらんじ、ラテン語、ポルトガル語も学んだと伝えられています。自殺ではないが人に殺させたのだから殉教ではないという見方もありますが戦国時代にここまで信仰を貫き通した彼女に私は憧れました。各シーンの描写はあくまでも私のイメージですがよろしければ小説をお読み下さい。

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